「テトスへの手紙」は、「教会」というものが形作られ始めていく時代に書かれた書物です。(紀元90年位)。パウロが書いたという体裁になっていますけれども、パウロの仲間、或いは後継者がその名前を用いて書いたものかもしれないと言われています。いずれにしてもあのパウロの信仰や精神を継いでいます。ただ他のパウロの手紙に比べると、福音の奥義を語るより、倫理的な側面が強くなっています。ですので、私自身「ローマの信徒への手紙」や「コリントの信徒への手紙」などよりも軽く見てしまっているところが正直あります。けれども、改めて読んでみますと、頭でっかちにならない信仰、と言ったらよいでしょうか、人々との関わりの中で、神様の教えを身に着けて具体的に生きるということを奨めているということを思います。2章は全部で15節しかありませんけれども、例えば、年齢を重ねた男たちや女性たちに対して品位を語り、その後では、若い男たちに、きちんと教会を担って行ける福音の健全性を身に着けることを語り、最後には、当時まだあった奴隷制の中にいる奴隷たちにも、主人に忠実であるように語ります。正直、今の時代から見ると、「古さ」も感じます。けれども、この当時テトスへの手紙が書いているのは、「忍耐」を抱えながらも「自由」に生きること、様々な人間の言葉に流されずに、10節にもあるように、「私たちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝か」して生きていくことを目指して励ましているということを思います。これは逆に言うならば、どんな状況の中にあろうとも、年齢を重ねて行こうが、或いは奴隷の身分であろうが、神様の言葉に根を下ろしながら、環境に負けずに突き抜けて生きていこう!と奨めているということです。そしてそこには、単に「前向きな心持で進んでいこう」というのではなく、それを可能にする根拠があるんだということを今日の個所で語っていると思います。。その根拠は2章11~14節です。―「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教えまた、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」
皆さん、「キリスト教」というのは、“キリスト”教なんですよね。キリストから離れずに、キリストが私たちを解放してくださったのだという事実に立つのですね。私たち、自分の中にいろいろな「弱さ」を持っています。そういう私だけれども、そのままの私を愛することが出来るように主イエス様はして下さいますよね。…自分の努力ではどうすることもできない事柄、変えられない事柄って、人生の中で沢山あると思います。生まれ、生い立ち、顔、性質・性格、親、国籍、或いは“病”“病気”についてもです。私たち、色々なものを実は抱えながら、その中で、テトスへの手紙は、「現世的な欲望を捨てて、この世で」(相反していますよね?)思慮深く、正しく、生きていくことが出来るということを語っています。そしてそれは13節に、「祝福に満ちた希望」とも書いてあります。良い言葉です!また、その「祝福に満ちた希望」というのは、主イエス・キリストのことだと。
私、最近の新聞の記事で読んだのですが、東村山市にある、国立療養所・多磨全生園で、ハンセン病(当時はらい病と言われていた)の患者として、やがて入所者の自治組織を作り、命は誰も隔てなく尊いものなのだという語り部をずっと続けられ、この三月に99歳(白寿)のお祝いを受けたという平沢保治さんという方のことが書かれていました。この平沢さんがクリスチャンかどうかは分かりません。けれども、キリスト教会がバックになっている団体などでの講演会などもよくされているようです。平沢保治さん、13歳の時にハンセン病を発症し、14歳で入所、旧優生保護法で不妊手術を強いられ、妻との間に子供を持てませんでした。被害者団体の会合で自分が座った椅子を消毒されるなど差別も数多く体験しました。それでも入所者の自治会員として生活環境の改善に取り組み、国立ハンセン病資料館の設立に尽力され、自ら語り部の一人としても活動されている方です。そして、驚くべきことに、この平井さんは「私は最高に幸せな者だ」と言われるのです。長年、国の強制隔離政策の対象となったことについても「恨みを恨みで返しても、未来はないから」とおっしゃり、茨城の古河市に生家があるのですが、兄弟は離れたままで、お寺とのつながりが強く両親のお墓参りも許可されないままなのですが、「それぞれの立場で生きていかねばならないのだから、恨んでいない」と言われ、「許す心が明日を開くんだよ。99歳になってあれだけの人に祝ってもらえるなんて本当に幸せです」と記者に語った、その笑顔の写真も載っていました。
「恨まない」とか「許す心が明日を開く」という言葉は、とても重たいと思います。でも強がりでは言えない言葉です。これは他の記事ですが、ある時、小学6年生たちが社会見学訪問の時にお話しし、その後である女子の質問に答えたというのですね。「平沢さんの一番の宝物は何か教えて下さい」。するとすぐにこう答えたそうです。「あなたたち。あなた宝物。」と。それを現場で聞いていた人はビックリし、とても感動したと書いていました。その時初めて会い、そしてもう二度と会わ(え)ないかもしれない女の子のことを”自分の宝物”だと、平沢さんは間髪入れず答えたのです。皆さんどう思いますか?これ、ポーズでしょうか?いえ、本音だと思います。平沢さんは断種手術を強制されたのです。そして今、自分自身の「命」の愛おしさを本当に実感しているからこそ、見知らぬ人の命も心から愛おしく思える。もし自分の命の価値を蔑んでいたら、自分を恨み、社会も恨み、そういう人生になっていても不思議じゃありません。でも平沢さんは、自分の命はこのままで輝いているということを知ったんです。
そう考えると、私はここでこの手紙の著者が、「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました」と書いてくれたことが、どれほど私たちの、また他者の命を、“尊いもの”と受け止めるようにされているか、その根拠を語ってくれていると思いました。
このテトスへの手紙の2章の最後には、これ、私は大事な言葉だなと思った言葉があります。それは、「だれにも侮られてはなりません」(テトス2:15)という言葉です。「(あなたは)侮られるなかれ!」。この言葉は、私たち一人ひとりに言われている言葉です。前の訳では「軽んじられてはなりません」でした。どうでしょう?戦争のこと考えてみてもそう思いますが、昔も今も、なんと人の命が軽んじられていることでしょうか。「軽んじる」ということは、正に「軽く侮られている」ということです。命の愛おしさを見ようとせず、それにそっぽを向くということは不信仰なことなのです。私はそう思います。なぜなら、イエス様は、人ひとりの命をどこまでも追い求めたお方であるからです!
私が聖書の中で最も好きな奇跡物語は、ヨハネによる福音書9章の「生まれつきの盲人を癒す」という奇跡です。皆さんよくご存じだと思います。この盲人は、ある意味親からも捨てられ、自分自身でも自分に絶望していた人ではないかと思います。この日も自分を素材にする言葉が聞こえてきます。「この人が生まれつき目が見えないのは、本人が罪を犯したからですか?それとも両親ですか?」。救いがない残酷な問いです。彼はずっと自分でも解決がつかないまま、道端で物乞いをする日々を繰り返していました。イエスの弟子たちのこの問いに対し、主イエスは答えられました。「この人が罪を犯したからでも両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)。―私たちの“弱さ”も、生まれつきの様々な条件も、また病でさえも、それは神様の業が現わされるその舞台なのだよ、という驚くべき言葉です。何という慰め、また力になる言葉でしょうか?しかし、主はさらに、この男の人に不可解なことをされました。自分の唾で泥をこね、この盲人の目にお塗りになったのです。おかしな民間療法みたいでもありますが、私はこの記事に、イエス様、どれだけこの男の人を愛しているのかと感じます。考えてみてください。“唾”ですよ。親が小さな子に唾を塗って「もう大丈夫」と言ってくれているようです。また成人だったら、まるで愛する者に、唇をつけるようなものではないかと思います。こんなに「近い」関係はありません。そして、イエス・キリストと私たちの関係はそんなに近いのだ!と思います。私は本当にそう思って、この記事が大好きなんです。でも、唾どころではありませんよね。主は、私たちのために痛みを背負われ、私たちは神様から離れようとしているのに、主イエスの方が、十字架で私たちのために血を流されたのですから。何と生々しい、血が通った愛でしょうか!
ここに、私たちの「命」が、軽んじられてはいけない、侮られてはいけない根本的は理由があるのですね。私たちの命は、神様の命と分かちがたく繋がっているということ。ここに「教会」という交わりの不思議さと尊さもあると思うのです。お互い、主が命がけで愛してくださっている私たちとして、「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝し」ながら、共に信仰の歩みをして参りたく思います。
お祈り致します。